彼女から「もう会えない」と告げられた数日後、僕は会社から異動を言い渡された。まだ入社2年目なんだけどな。人事異動もギリギリだ。1週間前に告げられる。
「またあの時のような通勤地獄を味わなければならないのか」と落胆していたが、今回の配属先は隣の支店ということが判明。しかも今の支店より社宅から近いので通勤は逆に楽になることがわかりホッとしている。
だが、県内ダントツで忙しい支店と有名で、その支店に配属された同期は半年で辞めていった。
「入社して2年目で異動ってマジかーー!」と思いつつ、後で知ったのだが、支店長が僕を道連れにしたらしい。もちろん、新しい支店でも支店長は変わらない。
新しい支店では、ユーザー密集地域の担当となり、前の支店の1.5倍近いユーザーを抱えることになった。お昼ご飯を食べる余裕もないし、会社に戻る時間も遅く、毎日が残業の連続だ。
彼女から「もう会えない」と告げられてからの異動。それ以降、彼女と顔を合わせる機会もなく、激務で仕事のことしか考えられない状況は、ある意味で救いだったのかもしれない。
ただ社宅に戻れば、あの時のことを毎日のように思い出す。彼女が残していったDVDやCDなど、あの時のままだから。
ふと彼女が訪ねてくるんじゃないかと、毎日かすかな期待をしてる自分が嫌だった。
なんとも未練がましい男なんだ…
いや、男なんてそんなものなんだよな。
自分の人生の中で、こんなに人を好きになったことはなかった。まだ19歳だけど。
日々の忙しさにも慣れ、少しずつココロの余裕も出てきたようだ。そのタイミングを計ったかのように、彼女が僕の配属先に仕事のヘルプで来るようになっていた。
本人から直接聞いたわけではないが、結婚も近いだろうと周りから思われていた彼氏と別れたらしい。理由はわからない。
あくまでも仲の良い先輩情報なだけに、信憑性はないのだが、変な期待感よりも自分が原因なんじゃないかと考えてしまう。
当然、彼女に声をかけられるわけもなく、申し訳ない気持ちでしかない。
話は変わるが、同じ支店で働く事務の同期の子(女性)が、僕の社宅から徒歩で5分くらいのところで一人暮らしをはじめていた。
「最近、一人暮らし始めたって聞いたけど、そんなに近くに住んでるなら言ってよ。」
「普通わざわざ報告しないでしょ(笑)」
「そっか、普通しないか(笑)」
「そうだ!今日、一緒に帰らない? ウチの近くに、美味しいイタリアンあるの知ってる? そこの "ズワイガニのトマトクリームパスタ" すっごく美味しいから行こうよ。」
「いいねー!けど無理だわー、100%残業だし。」
「大丈夫、本でも読んで待ってるから。」
突然、誘ってくるなんて、なんか様子がおかしい。まぁ帰り道が同じだし、断る理由は特にないんだけど。
この子とは入社式以来、研修も配属先も違ったので、あまり話す機会がなかったけど、同じ支店で働くようになって気さくに話せる仲にはなったと勝手に思っている。
「お待たせ。」
「お腹すいたー!早く帰ろっ!」
満員電車に揺られ10分。自宅最寄りの駅で下車し二人でレストランを目指す。
「こんなところに、イタリアンレストランがあったなんて知らなかったなぁ。」
「平日でも混んでるから待つこと多いけど、今日はいつもより遅いから空いてるみたい。」
食事を終え二人、自宅を目指す。帰る方向も一緒。僕の社宅のほうがちょっとだけ近い。
たわいも無い話をしながら、赤信号を待っている。
「ちょっと相談あるんだけど… 」
「何?別にいいけど暇だし… 」
なにか思いつめた表情が、断ってはいけない雰囲気を作り出していた。
「じゃ、ウチ寄ってく?そこだし。」
「でも社宅でしょ?それは、ちょっとマズいんだよなぁ。私のウチ、あの信号曲がったところだからウチ寄ってかない?」
「逆に行っていいの?」
「別に問題ないでしょ?あるなら止めとくけど。」
「特にありません。はい。」
その子のアパートは意外と広かった。僕の社宅より広いし、使い勝手の良さそうな部屋だった。なんか家賃高そうな感じ。
「確か実家って、この近くだったよね? なんで一人暮らし始めたの? もちろん住宅手当も出ないんでしょ?」
「うん。ここから実家まで15分くらいかな。近いよね。」
「あのね、ココだけの話なんだけど、絶対に誰にも言わないって約束してくれる?」
「何なの突然… 怖」
「実はね、〇〇主任と付き合ってるの。」
「えっ!嘘でしょ。」
全く気付かなかった。しかも、同じ支店の〇〇主任とだなんて…
仕事めっちゃできる人で頼りになる先輩。たしか既婚者で、31歳だったかな。
ん?結婚してる… よな?
「ちょっと待て、それって不倫じゃないの?」
「そう、不倫だよね。このアパートも〇〇主任と会うために借りたんだ。」
「それ、マズくない?」
と無意識に発した言葉にハッとしていた。
自分も同じようなことをしていたから。
テーブルには、その子は絶対に使わない灰皿が置いてある。
「やっぱり好きなの?不倫だよ?」
「うん。」
僕が今ココで相談を受けている理由が、今更ながら理解できてしまった。
「もしかして… 知ってた?」
「うん。だから今、相談してるんだけど。」
絶対に知られていないと確信していたのにバレてたなんて… 皆んな知らない振りしてたのか。
一応、どんな噂を耳にしたのか聞いてみることにした。
「ちなみに、〇〇主任から聞いたの?」
「違うよ。他の先輩から聞いた。前に、みんなで富士急ハイランド行ったとき、スケートリンクで二人キスしてたの見たらしいよ。誰にも言うなよって言われたけど、あの調子だと、みんなに言ってるんじゃないかなぁ。」
「いやいやいや、みんなで富士急には行ったしスケートもしたけどキスなんてしてないし。会社関係の人達とのプライベートでもバレないように気をつけてたから、それは絶対にない!」
「やっぱり付き合ってたんだ(笑)」
「あーー、マジかーー。」
完全に嵌められた。誘導尋問にまんまと乗せられた。ま〜仕方ない。
「その "好き"って気持ちはわかるけど、やっぱ不倫はマズいでしょ。」
ありきたりの言葉しか出てこなかった。
「じゃあさ、先輩(彼女)がもし結婚してたら、どうしてたと思う?」
何だよ、その質問は…
「そもそも始まりの状況が違うから、想像でしかないけど、彼女が結婚してたら、きっと好きになってないと思うけど。」
「そっか。なら、そんなに好きじゃなかったんだね。」
「きっと遊びだったんじゃない?お互い。」
結婚している人を好きになるなんて、絶対にあり得ないと思う。
でも裏を返せば、相手の立場で感情が変わるなんて、やはり "好き" という感情は薄かったのかもしれない。
「いくら好きだとしても、誰も得しない恋愛は違うでしょ。そもそも結婚している状況でアプローチしてくる〇〇主任がどうかしてると思うし、それを知って付き合うのも違うと思うし。」
不倫じゃないけど、同じようなことをしてきた僕の話しに説得力があるはずもない。
話しは堂々巡りを繰り返すだけで結論が出るはずもない。
そんなことを繰り返しているうちに、その子のスマホにLINEが入る。〇〇主任からだった。これから来るらしい。
「とにかく、今の関係は切らないとダメだよ絶対に!」と言ってアパートを出た。
後日、状況を確認してみたけど何も変わっていなかった。
変わったのは、僕が〇〇主任に対するイメージと、あの子のメンタルに寄り添うことができないジレンマかもしれない。
僕が、〇〇主任に「不倫はダメです!」と言えれば何かが変わるかもしれないけど、僕が直接関わるのも変な事になりそうで言えるはずもない。
同じ境遇を経験していると、例え不倫だとしても、本人が今、幸せならば良いような気さえしてしまう自分がいた。
不倫や浮気がダメなことは、誰しもわかっているのに、手の届かないところにいる人ほど魅力を感じ、自らアプローチしてしまうことだってあるんだ。
誰かの彼氏、彼女、夫、妻であっても、好きになってしまう。
好きになることは自由であり、誰にも否定される筋合いはない。
ただ、一線を越えた瞬間から幸せという皮を被った不幸の始まりでもあり、その不幸は関係のある誰かが必ず負うことになる。
"スキ"は時として魔力と化す。
自分かもしれないし、相手かもしれない、相手のパートナーかもしれない、そこに関わる家族さえ巻き込んでしまうかもしれない。
ただひとつ言えることは、全員ハッピーエンドにはならないっていうことだけ。
自分は幸せだと思っていても、それは不幸の上に辛うじて被さっている見た目だけの幸せなのかもしれない。